ブックタイトル近代テキスタイルの保存と修復

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概要

近代テキスタイルの保存と修復

を0.01 ?0.1 %ポリメタクリル酸ブチルトルエン溶液を糸の端に塗布し、糸どうしを接合した事例もある(1972年)48)。当初は接着剤に繊維を浸す、または刷毛で塗布していた(含浸法)。しかし接着剤の性質が理解されるようになると、繊維の膨潤や収縮による変形、シミの広がり、繊維の固化などをさけるため、含浸ではなくテキスタイルの表面に補強素材(布や紙)を接合するドライフィルム法が開発された。接着剤にはドライフィルムをアイロンの熱で柔らかくしてテキスタイルに接合する熱再生タイプ(ポリビニル系やアクリル系)と、溶剤で再活性して接合する溶剤再生タイプ(メチルセルロース系やポリビニル系)に大別される49)。ドライフィルム法を最初に発表したのはイギリスのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館で染織品保存部長をしていたシーラ・ランディ(Landi, S.)である。1966年にナイロンネットや薄絹にポリビニルアセテート系の接着剤を塗布して乾燥させ、ドライフィルムを熱可塑してテキスタイルに接合する補強方法を報告した50)。また古代エジプト第5王朝時代の亜麻のプリーツドレスの接着補強として、15 %モヴィリスDMC2(Mowilith DMC2)水溶液をシルククレペリンに塗布し、乾燥させ、75?70℃のアイロンで接着した。また、脇のフリンジ(飾り糸)には2 %ナイロン水溶液を噴霧した51)。ナイロンは30年経て亜麻布から取り除けない状態になっている。液体ナイロンは1970年代に文化財の保存修復材料として広く用いられた。そして当時から文化財に使用するのは適切ではないと主張する科学者もいたが、実証実験が伴っていなかった52)。これらの事例が示すように、合成接着剤のテキスタイルへの使用は、保存倫理的な考え方を踏まえつつも、使用が科学的検証よりも先行していた。このことはテキスタイルに限ったことではなく、文化財の保存修復全体についていえる。古代エジプトの服飾品の修復事例は、今では新しい材料や技術を取り入れる際の教訓となっている。合成接着剤を文化財へ使用するにあたり、長期的な化学的安定性の観点から、加速劣化試験で接着剤の黄変、pHの変化、溶解性などを評価する試験が行われはじめたのは1980年代に入ってからである。テキスタイルに関する接着剤で言えば、1984年にハウエルズ(Howells, R.)らがポリビニル系分散型合成接着剤のドライフィルムを光、熱、屋外で暴露し、重さ、色、溶解性、強伸度、熱による軟化、pHについて試験し、モヴィリスDMC2とヴィナマルR 3252(Vinamul R3252)の変化が少ないと報告した53)。文化財領域全般にかかわる合成接着剤の総合的な試験が1990年代に数多く報告された。1990年にゲティー文化財研究所(GettyConservation Institute GCI)のフェラー(Feller,B. L.)ら54)はセルロース系高分子の加速試験を行い、表7にあげた接着剤の変化が少ないと報告した。そしてエチルセルロース(EC)、有機系溶剤に溶解するエチルヒドロキシルエチルセルロース(OS-EHEC)、ヒドロキシルエチルセルロース(HEC)は文化財への使用には適さないと結論付けた。またホートン-ジェームズ(Horton-James, D.)55)は絵の具の剥離止めを目的として使用する合成接着剤を試験し、アクリル系のプレクストルR B500(Plextol R B500)とプライマルAC33(PrimalAC33)の結果が良好であると報告した。1996年にCCIのダウン(Down, J. L.)ら56)はポリビニル系とアクリル系接着剤の大規模な加速劣化試験を行い、表8にある接着剤が良好であると報告した。この研究は、同じ条件で多数の接着剤を試験しており、過去に良好と評価された接着剤の中には評価が下がった製品が含まれ、文化財に使用する接着剤全般の見直しを促すものとなった。このように1990年代に保存修復材料としての合成樹脂が数多く試験された近代におけるテキスタイルの保存と修復31