ブックタイトル近代テキスタイルの保存と修復

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概要

近代テキスタイルの保存と修復

近代におけるテキスタイルの保存と修復石井美恵東京文化財研究所文化遺産国際協力センター客員研究員/染織保存修復はじめになぜ今「近代テキスタイルの保存と修復」が議論されるのか。日本の近代化を牽引した重要な産業は、戦前は絹、戦後は合成繊維のテキスタイルであった。平成26(2014)年に「富岡製糸場と絹産業遺産群」が世界遺産に登録され、近代日本の産業遺産を歴史的に評価し、保護、継承する機運が高まっている。日本において博物館収蔵品や指定文化財のテキスタイルを修復し始めたのは戦後で、2000年代の初めまでは私設の工房が1か所あるのみであった1,2)。また現在でもテキスタイルのコレクションを有する施設で、その保存に専門的に従事する職員を要するのは正倉院と京都服飾文化財団だけである3,4)。2000年代に入り、旧岩崎邸の婦人客室に残されている創建当時(明治29(1896)年)の和製欧風刺繍の天井パネ5)ルを修復する事業や御料車を博物館に移設して展示するために保存処置する事業など6)、日本の伝統的な染織の枠組み(主として着物などの服飾)とは異なる、西洋の、または西洋の影響を受けた和製のテキスタイルに対する保存と修復の要請が増えている。一方、テキスタイルを収蔵する海外の博物館では、近現代の合成素材の劣化が大きな問題になっている。これを受けて1991年にカナダ文化財研究所(Canadian Conservation Institute以下、CCI)では合成素材を含む文化財の保存と修復に関する研究集会が開かれた。テキスタイルでは1960年代のゴム製レインコートの修復事例が発表されている7)。表1と2に合成染料と合成繊維の発明年をそれぞれ示した。近現代のテキスタイルの保存と修復は今最も注目されているテーマのひとつで、2013年11月に第9回北米染織品保存会議が「現代性の保存:革新の詳細な表現」と題してサンフランシスコで開催された8)。この会議では博物館資料としてのナイロンストッキングの劣化と保存に関する発表と同時に、修復材料としてのナイロンネットの劣化の問題が議論された9)。つまり、今日の文化財の保存領域が抱えている問題は、収蔵品としての、また修復材料としての近現代の素材の急速な劣化の問題であり、複雑な曲面に立たされている。その一方で、日本ではようやく明治期の近代テキスタイルの保存と修復に着手したばかりで、現状は、近現代の合成素材のテキスタイルの保存までは手が行き届かない。日本の近代テキスタイルには、江戸時代までの伝統技法と西洋の素材や技術が融和した独自性の高い作品もあるため、今後保存と修復を行ってゆくには、欧米の研究や事例に学び、異分野と横断的に連携し、方法論や技術を確立する必要がある。西洋の方法論がそのまま当てはまるとは限らないため、日本の事情に即した保存と修復方法を考えなければならない時期にきている。本稿ではそのような議論の前提となるよう、はじめに欧米におけるテキスタイルの保存領域の変遷を概略し、次に欧米で用いられている保存修復材料の中でも合成素材に注目し、合成染料、界面活性剤、合成接着剤についてこれまでの研究と現在の動向について述べる。18