ブックタイトル御料車の保存と修復及び活用

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概要

御料車の保存と修復及び活用

(3)食堂(写真10)寸法:長十呎八吋八分の三、幅七呎九吋四分の一開口部:主室側より中央引戸により、供進室には一側より開戸により入り口を設ける。各入口には模様入緞帳を吊る。左右の窓には紗、ガラス、二戸の外巻カーテン及び引幕を設ける。天井:ベンチレーターは主室と同様の工作を施す。床:インレートリノリウムの上に模様入絨毯を敷く。仕上げと装飾:食堂側左右に羽目板には、胡蝶舞姿の象嵌した羽目板を入れる(写真11、12)。その他の羽目板は欅板に胡蝶蘭の象嵌したものを使用する。この室内の意匠模様はすべて胡蝶又は胡蝶蘭を依ってデザインする。家具:主室入口の正面には、樟楠木製飾棚を置き、テーブル一箇の周囲に椅子六脚を配置する。中央窓合吹寄には、花瓶台を設ける。設備:十二燭光シャンデリヤ二箇、三十吋シーリングフワン一箇、及びテーブルフワン一箇を配置する。(4)供進室(写真13、14)寸法:長六呎十一吋、幅七呎九吋四分の一内装:食堂の次に位置し、室内清潔を旨として天井は白色ペイント塗り、床はインレートリノリウム張りとする。家具:食卓用品を納める戸棚を食堂側羽目の上下に設け、それに対してシート及びパーセルネットを取り付ける。設備:電扇及び電灯を設ける。車体全部のスイチを室内の一隅に設置する。(5)洗面室寸法:洗面所長七呎八吋、幅二呎九吋四分の一大便所長三呎十一吋、幅二呎九吋四分の一小便所長三呎六吋、幅二呎九吋四分の一天井:通風器及び電灯を設置する(写真15)。洗面所:一側には戸棚を置き、それに対して洗面器及び鏡を設ける(写真16、17)。緞帳を依って廊下を遮る。両便所:両便所には各便器鏡を置き、通風器及び電灯を設置する。開戸を依って夫々を区画する。開口部:洗面所及び両便所の窓は、台字(台湾を意味する)枠の色ガラス入円窓を取り付ける(写真18)。文献から主室の四季花の装飾の原図は川端玉章が描いたと判明し(写真19、20)、4つの絵にも彼の名「玉章」印が象嵌されている(写真21)。川端玉章は天保13年3月8日(1842年4月18日)京都に生まれ、日本画は中島来章に、画論を小田海僊に学んだ。慶応2(1866)年、江戸に移り、高橋由一に油絵を学んだ。明治22(1889)年、岡倉天心により東京美術学校に円山派の教師として迎えられ、明治23(1890)年、東京美術学校教授に就任した。彼は日本絵画協会など新派系の日本画団体に出品する一方、旧派の日本美術協会にも参加し、明治21(1888)年、皇居杉戸絵を揮毫した。明治22(1889)年、臨時全国宝物取調局臨時鑑査掛を嘱託され、明治30(1897)年、古社寺保存会委員となり古美術保護にも尽力した。そして明治29(1896)年、帝室技芸員になる。明治期の御料車は帝国技芸員が全員集合で車両の内装を手がけていたと言われ、台湾の御料車もその可能性が高い。3.「御召列車」としての改造大正12(1923)年、皇太子台湾行啓のため御召列車が用意された。御召列車は御召車、特別車、展望車、食堂付一等ボギー車、一、二等合造ボギー車、二等ボギー車、旅客手荷物ボギー緩急車など8両からなる列車である(表1)。前述した2両の車両が御召列車の一部として改造されることとなった。貴顕用特別客車(オトク第2号現在のSA4101)は「御召車」として利用するため、大正12(1923)年1月11日より3月12日まで改造工事が行われた。そして、特別客車(オトク第1号現在のSA4102)は「特別車」として利用するため、大正12(1923)年1月15日より3月12日まで改造工事が行われた。その概要は、当時の『台湾行啓記録第二十冊』に記録されている。90