ブックタイトル御料車の保存と修復及び活用

ページ
62/106

このページは 御料車の保存と修復及び活用 の電子ブックに掲載されている62ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

概要

御料車の保存と修復及び活用

御料車における内外装の保存処置―漆工・木工など山下好彦東京文化財研究所文化遺産国際協力センター任期付研究員1.御料車と保存御料車は明治天皇御乗用として明治9(1876)年に神戸工場で初めて製造、その後、大正から昭和に至り天皇皇后陛下、皇太子や皇族用としてその仕様や装飾を変えながら作り続けられた。昭和35(1960)年に製造された現1号御料車(3代)が御料車として最後となった。御料車の内外装はその時の時代背景や趣を写していると考えられる。明治期には鉄道車両そのものが舶来品であったことから全体に西洋風であるが、刺繍や金工などに日本の伝統的な文様が一部に用いられた。大正初期には御料車は純国産となり洋風から和様化に転じるとともに、簡素の中にも刺繍、絹織物、蒔絵、木工、七宝、金工や陶磁器など日本の伝統的な美術工芸の粋で彩られた。特に7号御料車から8号御料車では寺社建築装飾の宝相華唐草文様を用いた漆塗蒔絵螺鈿が多用された。大正末期から昭和にかけて製造された10号御料車以降は装飾が控え目になり、近代化とともに洋風に戻る(もしくは洋風化する)ことも特徴的である。御料車の製造には監督として携わった六角紫水を初め、螺鈿の片岡照三郎や漆塗や蒔絵の河なみかわ面冬山、七宝の濤川惣助などその時代の一級のこうもとうざん工人が関わり、片岡照三郎や河面冬山はその後に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されている。御料車は何度も運用され、廃車になった後も保存されてきた。運用中は当然のことながら日光や雨に晒されるだけでなく、その振動が内部の装飾や家具調度に影響を与えることは言うまでもない。また、経年劣化による損傷が染織品や漆工品だけでなく各素材に及び、保管環境から埃の付着やカビの繁殖が進行する。各御料車は簡単な手入れや外板の塗直し等の修理を行ったとされるが、8号御料車や11号御料車は惜しくも解体され現在ではその一部が遺されているばかりである。2.御料車の保存処置平成18(2006)年に東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)が所蔵する御料車および国立台湾博物館の御料車関連資料の保存処置計画がなされたのを受け、筆者は縁あって現在まで次の4回に亘ってその関連作業に携わった。・鉄道博物館開館に関わる御料車の保存処置・鉄道博物館開館20周年特別記念展に関わる御料車解体部材と調度の保存処置・御行幸に関わる御料車の保存処置・国立台湾博物館所蔵の御料車関連資料の保存修理以下にそれぞれの内容に関してその概要を述べたい。3.鉄道博物館開館に関わる保存処置公益財団法人東日本鉄道文化財団がJR東日本創立20周年記念事業のメインプロジェクトとして埼玉県さいたま市に鉄道博物館が平成19(2007)年10月14日にオープンするのに際し、東京総合車両センターと万世橋の旧交通博物館に保管されていた御料車を鉄道博物館に移60