ブックタイトル御料車の保存と修復及び活用

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概要

御料車の保存と修復及び活用

御料車は、国鉄民営化以前は日本国有鉄道、そして現在は東海旅客鉄道株式会社が所有し、博物館明治村にとっては寄託資料という位置づけである。まずは、これら2両の御料車が博物館明治村へもたらされた経緯について簡単に説明する。御料車が博物館明治村へもたらされることになった直接のきっかけは、昭和30年代の高度経済成長に伴い、昭和34(1959)年に計画され、翌昭和35(1960)年4月に着手された「大井工場構内大改良計画」であろう。それまで平面的に配置されていた各工場を移管、改組し、新たに立体的に配置することで、作業効率を高めることができた。さらに遊休地を得たことから、折からの物価高騰で跳ね上がってしまった工事費を補てんすることが可能となった。この大改良計画で取り壊しが決まったものに、明治5(1872)年の鉄道開業時に新橋駅写真3移設当時の御料車に隣接した新橋工場内にイギリスから輸入した建築部材を用いて建てられた「機関車修復所」(のちに器械場となり、大正4(1918)年に工場機能が大井町へ集約された際に移築され、大井工場の一つとなった)(写真4)、明治22(1889)年頃に国産の建築部材を用いて建てられ、後に「第二旋盤職場」(写真5)となった建物があり、いずれも博物館明治村へ移築され、前者は日本の近代化に貢献した種々の機械を展示する「鉄道寮新橋工場・機械館」、後者はこれから説明を加える2両の御料車を納める「鉄道局新橋工場」として多くの見学者の方の観覧に供している。5号御料車5号御料車は明治35(1902)年、新橋工場で製造された木製の2軸ボギー車で、車両の長さは16.129 m、重さは21.94 tである。この御料車は初めて皇后陛下用として製造され、大膳ぐぶいん室・女官室・御座所・御寝室・御閑所・供奉員室を備えている。以下に、特筆される室内装飾について説明する。5号御料車で多くの見学者の目を惹くのは、御座所の室内の美しさではないだろうか(写真きりまさめきがんらいえん6)。天井は桐柾目に川端玉章が「帰雁来燕」を描いている(写真7)。玉座は藤模様が織り出ビロードされた臙脂色の天鵞絨が張られており、全体に写真4移築前の機関車修復所写真5移築前の第二旋盤職場48