ブックタイトル御料車の保存と修復及び活用

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概要

御料車の保存と修復及び活用

写真33 1号(初代)の上部飾りの状態。当時、黒味を帯びた泡状の塗面を見た来館者が、昔の塗装はわざわざこのように仕上げられたものなのか等、憶測、誤認がなされる状況であったという。写真34中央御紋章と龍黒ずんでおり、形態がはっきりしない。た塗料は油性のペンキであったことなどが判明した。復元工事では耐久性、光沢が一段と優れたカシュー樹脂エナメルを使用することになり、文様は形や配置を写真や模写により記録、特殊印刷(転写)で再現するなど長い間風格を保てるようにと、多くの工程をかけて行われた。現在見ることのできる美しい外観は、この復元工事によるものである(写真36?39)。また、車両だけではなく、展示室の改修として、ガラススクリーンの設置(上部は開口)、両側に出入扉を設置するなどの措置を行っている(写真40)。7号、9号は、共に屋外で公開展示されたという歴史をもつ。特に7号は屋外や半屋外にさらされた期間が長い。外観は塗装復元が行われたものの、内部の損傷は9号に比べて多く、欠損等、オリジナル部分が失われている部位が多くみられる。7号は大正期に製造された代表的な車両でもあることから、これらの情報が失われてしまったことと、記録が少ないことが非常に残念である。一般の美術資料であれば屋外にそのまま置かれるという選択はないはずで、や写真35 2号(初代)復元前の状態はり大型で、乗り物、美術的価値が認識されにくい「鉄道車両」の保存の難しさが表れている(写真41)。なお、10号、12号については、廃車後の記録が少ないため詳細は不明であるが、おそらく大規模な整備等は行われることもなく、大井工場などで長期間保管されていたと考えられる。8号は、廃車後、大井工場にて保管されていたが、終戦時にはかなり破損し、荒廃したまま放置されていたという(写真42)。その後、傷みが激しいことから昭和30(1955)年に解体が決定したが、翌年、車両技術保存のために状鉄道博物館の御料車39