ブックタイトル御料車の保存と修復及び活用

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概要

御料車の保存と修復及び活用

表2廃車後の経緯その1年月1号御料車(初代)、2号御料車(初代)大正2(1913)年廃車→1号(初代)、大井工場にて保管。2号(初代)、小倉工場にて保管ののちに大井工場に回送昭和11(1936)年万世橋の鉄道博物館新館建築中に高架下の展示室に搬入(大井工場より飯田町までレール輸送、同駅より道路輸送)昭和20(1945)~昭和21(1946)年戦争激化により休館、この間湿気のため、外部塗装に異常(変質)を生じる昭和23(1948)年雨漏りがはなはだしく、上屋を作る照明追加昭和33(1958)年上屋を改装、車両を30cm移動(横方向)して見学通路を広げる。1号(初代)、鉄道記念物に指定昭和37(1962)年上屋及び展示室内装を大改装、照明は蛍光灯化し天井に通風器を設置昭和38(1963)年2号(初代)、鉄道記念物に指定昭和46(1971)~昭和47(1972)年外部塗装復元工事昭和48(1973)年湿気防止のため、展示室両端をガラスの壁でふさぎ、ドアを設置(→かえって室内に湿気がこもるため、その後ドア撤去)昭和62(1987)年上屋及び展示室内装を大改装平成15(2003)年1号(初代)、国の重要文化財に指定平成18(2006)年移設準備のため、埃払い、カビ除去などの処置の実施鉄道博物館(さいたま市)に移設(ホバークラフトの原理を利用したエアキャスターを使用して車両を移動させ、車両ごとトレー平成20(2007)年ラーに積載して陸送し、積み下ろし時も同様の方法で、展示箇所まで搬入。この際、室内内装については必要な養生作業を実施し、また、ソファやテーブルなどの調度品は車内に置いて固定。)表3廃車後の経緯その2年月7号御料車9号御料車10号御料車12号御料車8号御料車(解体)11号御料車(解体)昭和10(1935)年12月昭和24(1949)年10月昭和27(1952)年6月昭和27(1952)年9月昭和31(1956)年昭和34(1959)年10月昭和36(1961)年9月昭和38(1963)年10月昭和40(1965)年昭和41(1966)年9月昭和42(1967)年9月昭和44(1969)年10月平成7(1995)年10月平成19(2007)年4月廃車→大井工場にて保管交通博物館の中庭にて展示開始取り外されていた御座所壁面の飾り額の取付整備等を実施公開展示終了、大井工場に一時預かり保管廃車→大井工場にて保管交通博物館の中庭にて展示開始公開展示終了、7号と引き換えに返却、大井工場などで保管解体指示読売ランド聖地公園に貸与、車体外部の※国鉄OBの熱心な運動によ全面塗替え(塗料にカり保存が実現シュー漆、壁面の描金(鷹の図額は交通博物館で保は塗装職場に残されて管されていたが、記念物指いたものを使用し、新定の調査前に返還し、大鏡製当時の姿に復元)を購入、御食堂の前後の壁面を整え、退色した外部をカ鉄道記念物に指定シュー漆により塗替え)鉄道記念物に指定廃車→大井工場などで保管鉄道記念物に指定廃車→大井工場などで保管鉄道記念物に指定廃車→大井工場にて保管※終戦時にかなり破損し、荒廃したまま放置。一部の部品は取り外され別に保管される?解体(傷みが激しいため解体決定。車両技術保存のために傷みの少ない御座所の一部と女官室を残し、交通博物館で展示することになる。4月に搬入・再組立し、展示開始)外装全面塗装修復整備実施廃車→大井工場などで保管解体指示解体(国鉄OBの活動もむなしく解体される。この際食堂室の一部だけでも再現できるよう、部材を遺す)※昭和40年代後半、交通博物館で食堂室再現展示の計画あり(未実施)鉄道博物館(さいたま市)に移設(事前に室内清掃および輸送に備えての養生作業を行い、その後、車両を車体部分と台保管されている部材を鉄道博物館(さいたま市)に車部分に分割し、トレーラーに積載し陸送。到着後は屋外で組み立て作業を行い、館内移設に搬入。※この際、長期の留置により木造車体の歪みが一部で発生、ガラスの割損等も発生していたが、ガラスについては搬入後に交換を実施。)田邊幸夫著『御料車物語』1986年、『鉄道ファン』『鉄道ジャーナル』『鉄道ピクトリアル』各号をもとに作成38