ブックタイトル御料車の保存と修復及び活用

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概要

御料車の保存と修復及び活用

6 12号御料車:大正13(1924)年製造12号は、摂政宮(のちの昭和天皇)ご乗用として製造された最後の木製御料車である。内ごけんじほうあんしょ部は、次室、御座所、御剣璽奉安所、御休憩室、御化粧室兼御召換室などに分かれている。御座所は、窓側壁面と折上部分の織物が一枚の生地で張られるようになり、全体の雰囲気も天井の高さを感じるすっきりとした造りとなっている。壁面、椅子の張地は洋花文様が織り出され、天井には洋風にした花襷文となっている。金具類のデザインも洋風の花葉文を用いるなど、細かい部分にまでデザインを洋風化させているのが特徴である。昭和天皇の即位礼に際しては、内外装を改装、御剣璽奉安所を設置するなどの改造をして使用し、それ以後は即位した昭和天皇の御料車となった。(写真21 ? 24)7解体された車両の一部(ⅰ)8号御料車大正5(1916)年製造8号は貞明皇后ご乗用として製造された車両である。内装は、7号に良く似たものとなっているが、花の模様が多用されている。折上、下天井にはそれぞれ菊をデザインした文様の織物が張られ、吹寄、仕切、引戸の綴織は流水に草花の図柄となっている。天井には鳳凰の飛翔画が織り出され、腰板には臙脂のビロードが張られ、帯が留められている。8号は、昭和7(1932)年に鋼製の2号(2代)が製造されるまで使用された。また、昭和天皇の即位礼にも12号と共に使用されている。現在当館では女官室部分を展示し(ただし、一部は他の御料車のものを転用)、一部の部材等(御座所の大鏡や引戸、御化粧台など)を保管している。(写真25?28)(ⅱ)11号御料車大正11(1922)年製造10号とともに製造された国賓ご乗用の食堂車で、先に製造された食堂車の9号や、連結して運用される10号の仕様やデザインを踏襲した部分が多い車両である。9号が刺繍画と木彫が特徴をなしていたのと同じように、11号もまた刺繍画と木彫を中心とした装飾が施されてくしがたつまかざりいる。櫛形妻飾、窓上の木彫は高村光雲が制作監督し、東京美術学校(現東京芸術大学)に依嘱された作品である。窓上の木彫は現在では塗色が剥げ落ちているが、制作当時は多色が施されていた。天井灯も10号と良く似た形となっているが、花唐草文様を表した七宝が施されている。現在当館では御食堂室の一部部材(仕切、引戸、櫛形妻飾、天井灯など)を保管している。(写真29 ? 32)3.廃車後の保管環境各車両とも廃車後すぐに博物館に収蔵されたわけではない。屋外展示や、解体など、さまざまな環境の変化を経て、現在の状況に至っている。記録に残されている範囲で各車両がたどってきた変遷について述べる(表2、3)。1号(初代)、2号(初代)はともに大正2(1913)年に廃車になったあと、しばらく大井工場内で保管された。その後昭和11(1936)年、万世橋に新館を建築中であった鉄道博物館に収蔵されることになった。それ以降、現在に至るまで室内に保管されてきたことになるが、記録をたどると、レンガ造の高架下という構造上からくる「水分(湿気)」との戦いであったようである。特に戦中・戦後の湿度・雨漏りによる影響は、のちに外観に対して大きな影響を与えることとなった。田邊幸夫氏の『御料車物語』には次のように表現されている。「…黒味がまを帯びて蝦蟇の背のように膨れた塗面…複雑な金色の装飾紋様も寸断されて正確に判断することの出来ない状態…」(写真33 ? 35)。各車両が鉄道記念物(旧国鉄が指定した日本の鉄道史上歴史的文化価値の高い資料のこと)34