ブックタイトル御料車の保存と修復及び活用

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概要

御料車の保存と修復及び活用

4.技術史面での意義とまとめ御料車についてその小史と技術史面での内容について述べた。ここではそれらをもう一度振り返り、技術史面からの意義とまとめをおこなう。1)輸入車両から国産車両へ:木製客車製造技術の発展日本初の公共用鉄道開業に間に合わせるため、上等車1両を特別仕様のサロン客車とし、これを御料車として代用した。明治初期は鉄道という近代的輸送機関についての知識も経験もなく、お雇い外国人の意見を参考にしながらこの事業を進めていった。新橋-横浜間開業の5年後に、京都-神戸間の鉄道公式開業で初めて、イギリス人汽車監察方ウォルター・マッカーシー・スミスの指導によりイギリス製部品を使い日本人の手で製造された御料車が完成、これが運転された。この間、日本人による一般用木製客車製造技術の蓄積が高まり、その成果として国産御料車が日本人の手で完成した。これは日本の客車製造技術レベルの発展を示す確かな証といえる。2)2軸御料車から2軸ボギー御料車へ:国内鉄道網の拡大と長距離運転の必要性国内の幹線的鉄道網の拡大に伴い列車の長距離運転が始まると、御料車の運転距離も次第に延長され、長距離運転に適した車体構造と設備が必要になった。このため車体は木製のままで、大型化をはかるため2軸ボギー台車を採用した。一般用2軸ボギー下等客車が輸入された時期は明治8(1875)年から明治10(1877)年にかけてであるが、それを模範に明治9(1876)年には国内でも一般用客車が製造された。明治22(1889)年7月の官鉄東海道線新橋-神戸間の全通に際しイギリスから2軸ボギー木製客車が46両も輸入され、併せて国内でも製造された。国内鉄道網の拡大と2軸ボギー客車数の増大には関連性があり、2軸ボギー御料車製造の社会的・技術的背景となっている。3)御料車の大型化:3軸ボギー御料車の登場国内鉄道網がさらに発展するにつれ木製客車製造技術も確立し、鉄道国有化による鉄道院標準型木製客車の量産が開始された。こうした製造技術を基盤に御料車車体の大型化が進み、重い車体を支えるために軸数を増やした3軸ボギー御料車が登場した。屋根は明治期の二重屋根から二重構造の母屋屋根に変わり、天皇のほか皇后や皇太子用、さらに食堂御料車や展望御料車も製造され、機能と用途の拡大がはかられた。4)鋼製御料車の登場:鋼製客車の製造と車両断面の大型化木製客車に比べて鋼製客車の安全性は数段高く、御料車にこの技術が応用された。国産鋼材供給が軌道に乗るのは明治38(1905)年以降といわれ、大正期には確立した。鋼製客車製造の背景には国内幹線での度重なる列車衝突事故があり、衝突時の木製客車車体破損度が極めて大きかったことによる。鋼製客車の量産は昭和4(1929)年以降であり、大型断面の車両定規の適用、新設計台枠の採用、従来の釣合いばり式3軸ボギーに替わる軸ばね式3軸ボギー台車の新製など、新しい設計思想に基づく成果が現れている。5)車体の軽量化:軽量客車の設計思想を導入戦後、日本国有鉄道では動力の近代化と併せて車両の軽量化設計を推進した。御料車にもこの設計思想が取り入れられ、戦前からの基本的要件を継承しながら車体の軽量化と近代化を実現した。3軸ボギー台車は新設計の24