ブックタイトル御料車の保存と修復及び活用

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概要

御料車の保存と修復及び活用

が設けられている。定員は10人である。台わく構成主材は木材で両端の連結器間は軸継手を持つ鋼製丸棒で締結され、これが引張(けん引)力を担う。また左右の緩衝器で受けた圧縮力は、トラス状の斜め中ばり(ダイヤゴナル)で台わく中ばりに力を伝えている。走行装置は単台車でマンセル車輪とすべり軸受けの組合せである。台わくと木製車体の間には防振ゴムが挿入され、さらに担いばねのリンク横にはばね定数調節装置もあり、14 ft 0 in(4,270 mm)の固定軸距とともに乗り心地向上が考慮されている。この客車には制動機は取付けられていない。第1号御料車の主要緒元は、車体全長26 ft 4 in(8,026 mm)・車体長24 ft 0 in(7,320 mm)・車体幅7 ft 0 in(2,135 mm)・屋根高10 ft 11 in(3,327 mm)・固定軸距14 ft 0 in(4,270 mm)・自重7 t 4 c(7,294 kg)である7)。昭和33(1958)年10月に旧国鉄の鉄道記念物、平成15(2003)年6月に重要文化財指定され17)、現在は鉄道博物館に保存・展示されている。3.1.3第2号御料車(初代)第2号御料車(初代)は九州鉄道がドイツのファン・デル・ツィーペン社に発注し明治24(1891)年に輸入され小倉工場(当時は小倉製作所)で組立てた客車である。明治35(1902)年に熊本県下で開催された陸軍大演習に明治天皇が行幸される際、各部が改造された。車体は両端に開放式出入台があり室内は3室に分かれ、御座所、御化粧室(洗面所・御厠)、侍従室の順に配置され、御座所の妻窓には当時としては希少な曲面ガラスが使われている。定員は4名と推定される。台わく構造は不明だが、同時期に輸入され国内に現存する同社製2軸三等木製客車の調査から、主要部材に鋼材が多用され圧縮力を受ける斜中ばり(ダイヤゴナル)は三角形状の一体型鋼材であることがわかった。走行装置は単台車だがマンセル車輪ではなく帯鋼材を使ったスポーク車輪で、すべり軸受けとの組合せである。当初は制動機がなく、明治37(1904)年に真空式制動機を取付け、現在は撤去されている。第2号御料車の主要緒元は、車体全長8,900 mm・車体長8,300 mm・車体幅2,648 mm・屋根高3,370 mm・固定軸距4,000 mm・自重8.35 tである10)。昭和38(1963)年10月に旧国鉄の鉄道記念物に指定され、現在は鉄道博物館に保存・展示されている。3.2日本初の2軸ボギー木製御料車の製造明治31(1898)年10月に明治天皇専用車として登場した第3号御料車は、日本の御料車史上注目すべき客車であった。前述のように官鉄東海道線、私鉄日本鉄道、山陽鉄道など国内主要幹線鉄道が北と西に全通したが、御料車には長距離運転に適する設備や乗り心地を備えた大型のボギー客車が存在しなかったため、長距離運転時には一般旅客営業用優等客車も併用された。それゆえ逓信省内局の鉄道局(またはその外局の鉄道作業局になってからの可能性もある)新橋工場で2軸ボギー御料車の設計・製造が開始された。事前に1/8の車両模型をつくりこれを検討したのち製造にかかり、完成は明治31(1898)年10月、工事開始から完成まで約2年を要した11)。車体は木製で両端に開放式出入台があり(後年、これは密閉型に改造)、側面二か所にも開戸が設けられている。室内は7室に分かれ、ちょうずしょごかんじょこじゅうしつ手洗所、御閑所、御寝室、大臣扈従室、玉座室、大臣扈従室、大膳室の順に配置され、玉座室背面は細廊となり玉座室を挟む左右室間の連絡用となっている。台わくは鉄鋼材と木材の併用で床下には補強用のトラス棒(クィーンポスト)が取付けられているほか、台わくと車体の間には防振ゴムが挿入され、乗り心地の向上が日本における御料車と技術史面での意義21