ブックタイトル御料車の保存と修復及び活用

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概要

御料車の保存と修復及び活用

一方、九州鉄道(現在のJR九州鹿児島本線)はドイツのファン・デル・ツィーペン社に御料車を発注した。これは明治24(1891)年に輸入され、小倉工場(当時は小倉製作所)で組立てられた。この車両は2軸客車で第2号御料車(初代)と呼ばれる(写真4)10)。明治35(1902)年、熊本県下で開催された陸軍大演習に明治天皇が行幸される際、この御料車は各部が改造された。明治22(1889)年7月に官鉄東海道線新橋-神戸間が、明治24(1891)年9月に日本鉄道上野-青森間が、明治34(1901)年5月に山陽鉄道神戸-馬関(現下関)間がそれぞれ全通し、天皇は全国に行幸されるようになるが、その当時の御料車はまだ2軸車であった。このため、乗心地向上と長距離運転にも適した諸設備を持つ初の2軸ボギー御料車が明治31(1898)年10月に逓信省外局の鉄道作業局新橋工場で完成した。これが第3号御料車である(写真5)11)。これ以降、御料車の製造は同工場が主担当となり、明治43(1910)年10月に完成した初写真4第2号御料車(初代)写真5第3号御料車(原型)18