ブックタイトル御料車の保存と修復及び活用

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概要

御料車の保存と修復及び活用

日本における御料車と技術史面での意義堤一郎東京文化財研究所保存修復科学センター客員研究員1.はじめに鉄道車両としての御料車は天皇、皇后を始めとする皇族方や、国賓として来日した海外王室関係者などの乗用にも使われている。それゆえ御料車はこれまで客車に分類され、形態面からは2軸車と2軸または3軸ボギー車が、車体には木製と鋼製が、屋根構造には一重と二重があかしこどころじょうぎょしゃり、車種には御料車のほかに賢所乗御車、展ぐぶしゃれいきゅうしゃ望御料車、食堂御料車、供奉車そして霊柩車がある1)。本稿ではこれらを包括して御料車と呼ぶことにするが、現在まで在籍した御料車の総数は23両、このうち1両が重要文化財、8両が鉄道記念物に指定されている。これらを表1に示す2)。また御料車の代替として、在来線および新幹線においてグリーン車の設備を改装した特別車両が整備・運転されたこともあるが、平成19(2007)年にJR東日本は従来の御料車の代替車両としてE655系電車を新製しこれを充てている。一方、国内各地の私鉄でも御料車を所有したことがあり、その中には皇族方が実際に御乗車になった車両もある。これらをまとめて表2に示す3)。御料車とともに忘れてはならないのは離宮、御用邸、神社、陵墓等の至近駅に設けられた貴賓室であるが、本稿では言及しない。以下、御料車に係る小史と鉄道車両製造技術史面での意義について簡単に述べる。2.御料車の小史ここでは明治期以降の御料車について、その小史を簡単に記す。日本における公共用鉄道(イギリスで1830年9月15日に開業したリバプール・アンド・マンチェスター鉄道が、現在の公共用鉄道の嚆矢とされる4))は官営として、明治5(1872)年6月12日(旧暦5月7日)に品川-横浜間が仮開業した5)。続いて同年10月14日(旧暦9月12日)に新橋-横浜間が全通し、明治天皇臨席のもとで開業式が挙行された。旅客営業は翌日から、貨物営業は翌年9月の開始であった。このとき英国から輸入された鉄道車両は143両(蒸気機関車10両・客車58両・貨車75両)で、機関車は全てが軸配置1Bのタンク式、客貨車は全てが2軸木製車であった6)。新橋-横浜間の開業式において明治天皇が全線を一往復したとき日本には御料車がまだ存在せず、上等車10両中のサロン客車1両が使用されたと推定する(写真1)7)。続いて明治7(1874)年5月に大阪-神戸間が仮開業し旅客営業が、同年12月に貨物営業が開始された8)。さらに明治10(1877)年2月の京都-神戸間全通により開業式が挙行され、明治天皇は京都・大阪・神戸の3駅に行幸され式典に臨んだ。この時ご乗車になったのが第1号御料車(初代)であり(写真2)7)、前年から工部省鉄道寮神戸工場においてイギリス人汽車監察方ウォルター・マッカーシー・スミス(1842 ? 1906)(写真3)の指導下で、日本人技術研修生が製造したものである9)。日本における御料車と技術史面での意義15