近代建築に使用されている油性塗料

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近代建築に使用されている油性塗料

6以降、日本国内に200から250社の外国商社が存在した。しかし当時は、塗料の扱い量は僅かであった。明治10年代(1877?1886)に入ると、国産の塗料製造会社が興り、明治14年(1881)に日本ペイント株式会社の前身の光明社が設立される。以降、国内生産も始まり、油性塗料の使途拡大へと続くことになる。油性塗料の定義について、昭和18年(1943)6月発行の『塗料便覧』によると、次のような記述がある。「顔料と脂肪油を主成分とする塗料をペイント、または油性ペイントと言う。特に顔料をボイル油と糊状に練り合わせた物を堅練ペイントと言う」。組成としては8?20%のボイル油と80?92%の顔料より成る。その後、油を主成分としながらも、合成樹脂も混合された塗料も開発されるようになり、油性調合ペイントと呼ばれた。そのようにしながら油性塗料は建築物等に使用されてきたが、その施工性の悪さが原因となり徐々に使われなくなってきた。一番の原因は乾きの遅さである。塗装してから塗り重ねるまでのインターバルが長く工期が長くなる原因となっていた。さらに、乾きが遅いために養生をきちんとしないと埃等がついたりして不良となることも多かった。3.東京文化財研究所での調査事例東京文化財研究所では、近年いくつかの建造物について、どのような塗料が使用されているのかという調査依頼を受け、分析を実施してきた。今までの修理事例で問題になったのは、以前、建造物に何色の塗料が塗布されていたのかということであり、塗料の種類まで問題になることはあまりなかった。これは、これまでの建造物の修理の際、塗装工事に関して、厳密な管理がされてこなかったことが一つの原因である。これは何を意味するかと言えば、しっかりとした記録が残っている例が少ないということである。修理仕様書を見ても、塗装に関しては、色とおおざっぱな成分表示だけであったり、修理報告書に塗料に関する記述がないものがあったりする。また、所有者が誰にも知らせずに塗り替えていたりすることもある。それほど塗装に関しての意識は低かったということであろう。そこで困るのが、次に修理する場合である。色は同じにしたが、以前の塗料の種類が判らないまま塗装すると、当時の塗料と同じもの思って使っても塗料どうしの性質が合わず上塗りすることができなかったり、すぐ剥がれてきたりするということが起きる。このようなことがないようにするためには、一度既存の塗膜は全て除去した後、新たに塗り直すのが最も良いが、それではオリジナルの塗膜が失われてしまうことにつながるし、費用もかかる。そのような事態を回避する一つの方法が、以前に使われた塗料がどのようなものなのか確認するということになる。特に明治期、大正期の建物等の場合、一見古そうに見える現在の塗膜に油性塗料が使われているのか否か確認する必要も出てきた。東京文化財研究所では、そのような依頼に対し、赤外分光分析法(IR)を用いて分析を行ってきた。ここで、油性塗料を使ったと推測され、確認を求められた事例を紹介する。以下、最初の2件の事例は、現在博物館明治村に移設されて保存されている建物になる。3-1.旧三重県庁舎(重要文化財)明治維新後、地方行政の急速な整備により、各府県には府知事・県令が配置された。当初は庁舎として既存の建物を利用したが、そのうち開明的な県令は洋風の県庁舎を建設するようになる。旧三重県庁舎もそのひとつである(写真1)。この県庁舎の木製扉に油性塗料を使ったと思われる木目模様が描かれている(写真2)。この扉から剥離した塗膜片に関して分析を行った。