近代建築に使用されている油性塗料

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近代建築に使用されている油性塗料

48さらに、日清、日露大戦を経て国内経済力が増大し、特に軍需産業分野の電力や化学、製鉄、造船、機械産業が発展した。塗料産業(特に造船関係)においては、大正3年(1914)の第一次世界大戦勃発が大発展の契機となった。輸入塗料の流入が阻止された反面、海外への進出が可能になったのである。そのためか、塗料製造会社は増加の一途を辿り、また大正12年(1923)に発生した関東大震災の復興需要もあり、現在の主要塗料製造会社のほとんどが創設され、昭和2年(1927)には165社に成長している。塗料品種も従来品に加え、スパーワニス、トタンペイント、グラファイト・ペイント、ニトロセルロース・ラッカーが製造され、昭和10年(1935)前後には油変性アルキド樹脂塗料が上じょう市し されている。昭和11年(1936)に竣工した湯島聖堂(東京都)の大たい成せい殿でんには、油変性アルキド樹脂塗料が使用された。50年後の改修調査では、油性系塗膜が素地のアルカリ性に耐えるための下地調整に職人の苦心の跡が種々残されていたことがわかり驚きを覚えた。昭和に入ると、大戦後の経済不況に見舞われ、昭和2年(1927)の金融パニック、昭和4年(1929)の世界恐慌、昭和6年(1931)の満州事変を経て昭和16年(1941)には第二次世界大戦が勃発する、暗く苦しい時代となる。しかし一方で、経済不況に反して科学技術研究は著しく進歩し、塗料工業においては現在に繋がる各種合成樹脂塗料の研究及び開発が発展した。8.油性塗料から各種合成樹脂塗料へ昭和20年(1945)、焦土と化した国土復興の旗手として、建設産業がいち早く立ち上がり、塗装需要も生じてきたものの、戦後の塗料不足を補ったのは、職人による伝統技能であった。魚油等を活用して塗料を作り、対応したのである。昭和25年(1950)には物価統制令が解除され、朝鮮動乱での軍事需要もあり、塗料生産は伸展の兆しをみせた。昭和30年代に入ると、石油化学工業の振興による石油コンビナートの誕生で、合成樹脂塗料の時代となる。昭和30年(1955)の住宅金融公庫法制定、日本住宅公団設立、昭和33年(1958)の東京タワー完成、昭和39年(1964)の東京オリンピック開催等に伴い、大型建造物の建設や住宅産業の発展によって、塗装需要は一気に上昇した。しかし、合成樹脂エマルションペイントの汎用化や新しい建材の出現、建築仕上げが湿式工法から乾式工法へと変化したことに従い、従来型の油性塗料の使用は減少し、辛うじて長油性合成樹脂塗料(合成樹脂調合ペイント)として使用されるに留まった。油性塗料は素地や下地に鈍感で、膜厚を確保し易い利点がある反面、乾燥に時間がかかる最大の欠点がある上、合成樹脂塗料に比べて耐候性や耐アルカリ性、美装性に劣ることなどが時代の要求に適わなかったのである。年度別全塗料生産量に占める油性塗料の割合は、昭和35年(1960)には31.2%であったのに対し、昭和45年(1970)には9%に下落している。油性塗料は、明治初期から塗装の中核を担ってきたものの、時代の変遷とともに現在では姿を消してしまったのである。明治30年(1897)輸入塗料800t国産塗料400t明治44年(1911)輸入塗料750t国産塗料1,500t資料4