近代建築に使用されている油性塗料

近代建築に使用されている油性塗料 page 46/74

電子ブックを開く

このページは 近代建築に使用されている油性塗料 の電子ブックに掲載されている46ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
近代建築に使用されている油性塗料

44会堂等が次々に建設され、大いに衆目を集めていた。なかでも、いち早く居留地で活躍した二代目清し 水みず喜き 助すけ(現 清水建設の創業者)は、「神奈川役所定式普請又は入札請負人」に指定され諸建築に携わった。明治元年(1868)に竣工した築地ホテル館は、擬洋風建築を代表する大建築であったが、残念ながら現存していない。また、横浜居留地でのペンキ塗装職には中国人が携っていた。彼らは上海やマカオ等で西洋建築の塗装を経験し、開国後いち早く来日して西洋人技術者と共に居留地に住み、西洋建築に携わっていた。邦人塗装者はこうした中国人から指導されたり、また自ら学習したりしながら、塗装職として独立していくことになる。明治5年(1872)、新橋?横浜間に鉄道が開通し、新橋停車場の請負施工業者一覧に、塗師山田伊兵衛と溝口勝次郎の2名の名前が記されている。これは、明治初頭に邦人塗装専門職が存在していた証である。明治20年代になると、塗装職数が激増し、東京や神奈川には塗装業組合も設立され、建築塗装が新しい職種として社会から認知されるようになった。4.西洋における油性塗料の発展西洋で発達した油性塗料の元祖は14世紀に使われ始めた油性絵具といわれ、ルネッサンスの時代には、多彩な絵画が描かれている。レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)は顔料の製法や処方についても研究していたといわれ、鉛白((PbCO3)2・Pb(OH)2)のほか数種の顔料を用いた油性絵具で「モナ・リザ」や「ほつれ髪の女」等の名画を遺している。一方、紀元前には油ワニスが存在していたといわれているが、16世紀以降に天然樹脂と乾性油を混ぜた油性ワニスが、家屋や家具類に盛んに塗られるようになる。こうした塗料の製法は、職人自身の秘伝の技と配合で行われていた。18世紀以降、産業革命の時代になると製造方法は機械化され、専門メーカーが出現する。メーカーは亜あ麻ま仁に油に鉛白を練り合わせたペースト状の固練りペイントを供給し、塗装者は使用に際して亜麻仁油で希釈、あるいは調合して用いていたようである。こうした調合法もやはり職人独自の技であった。油性塗料の塗膜主要素である油脂(脂肪酸)には、乾性油、半乾性油、不乾性油とあり、油性塗料には3基の不飽和結合を持ち、ヨウ素価が130以上の自然環境で酸化重合する乾性油が用いられる。「亜麻仁油」(Linseed oil)は亜麻の種子から抽出され、ヨウ素価は160以上を有し、油性塗料の主要な原料となった。亜麻仁油以外にも荏油、胡麻油、桐油、大豆油等もそれぞれに特徴を有した乾性油で、油性塗料や油性ワニスに使用された。19世紀には「亜あ 鉛えん華か 」(酸化亜鉛ZnO)の製造がフランスを中心に盛んになる。亜鉛華は鉛白と異なり、光沢や伸び、硬度、耐久性があり、毒性を有する鉛白に代わり、主要顔料として用いられるようになる。ただし鉛には油の乾燥を促進する効果があるが、亜鉛にはその効果がないことから、油の乾燥性を良くするための研究が進み、乾燥性の良いボイル油が製造されるようになる。「ボイル油」とは諸種の乾性油を加熱し、乾燥剤を加え乾燥を良くした油のことである。ボイル油は、固練りペイント(白色顔料が亜麻仁油に溶解され、練り合わされた状態のもの)を薄める際に使用される場合が多いが、ボイル油自体も塗料として使用されていた。こうして19世紀半ばを過ぎた頃には、油性調合ペイントの製造が始められる。以上、西洋における油性塗料の発展を概観したが、日本に舶来した初期の油性塗料の塗料性状や荷姿等を示した確かな資料は見出せない。