近代建築に使用されている油性塗料

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近代建築に使用されている油性塗料

36ま現存している。これらの建物を調査し、塗膜の分析を行う事で多くの知見が得られるのではと思っている。長野県にも明治初期の擬洋風建築が現存する。旧中なか込ごみ学校校舎は、明治8年(1875)の建築である(写真12)。2階中廊下のステンドグラスの円窓が特徴で、「ギヤマン学校」とも呼ばれていた。設計・施工は、アメリカ合衆国で建築技術を学んだ下中込村出身の棟梁市いち川かわ代だい治じ郎ろうで、工費は6,000円ほどであった。建築に関する資料も残っており、「ペンキヤ幸三郎」といった職人名も判明し、「青ペンキ」という記述もみられる。ペンキやボイル油は何本というように本数単位で書かれており、東京から入手したことがわかっている。残念ながら、修理の際に塗膜の成分分析は行われておらず未調査のままであるが、旧睦沢学校校舎のように当初の塗膜を内包している事例もあるため、当初塗膜の残存について期待を寄せているところである。長野県の旧開智学校校舎も明治9年(1876)に建築された建物である(写真13)。こちらの建物は、当時の仕様書が残っていることでも貴重である。地元の大工棟粱立たて石いし清きよ重しげが設計・施写真10 旧津金学校校舎塗膜詳細写真9 旧津金学校校舎(明治8年竣工)