近代建築に使用されている油性塗料

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近代建築に使用されている油性塗料

20は、油性調合塗料を用いて、扉と枠を木目塗で再現している(写真10)。菅すが島しま燈台付属官舎は、三重県鳥羽市菅島町に明治6年(1873)、ブラントン(Brunton, R. H.)ら工部省燈台局のイギリス人技師によって設計され、昭和39年(1964)に移築竣工し、同43年(1968)に重要文化財指定された建物である(写真11)。塗装は外部の柱と軒蛇腹、建具周りに施され、移築時には素地調整の後、下塗に木部下塗用合成樹脂調合ペイント、中、上塗に関西ペイント株式会社製「SDホルス」の合成樹脂調合ペイント1種を塗布している。これに対して平成5年(1993)の保存修理工事では、合成樹脂調合ペイントによる移築時の塗膜を剥離剤で除去し、油性調合塗料を塗布している。移築工事の際には、建具周りに柾目の木目塗が施されていたが、既存塗膜の最下層にある木目塗の模様と古写真を参考にして、移築前の板目の木目塗を復原している(写真12?14)。三重県庁舎は、三重県津市栄町に明治12年(1879)、後に県庁史員となる大工棟梁清水義ぎ 八はちによって建てられ、昭和41年(1966)に移築竣工し、同43年(1968)に重要文化財指定された擬洋風の庁舎建築である(写真15)。E字平面の建物で、トスカーナ式を模した柱と半円アーチの開口部が連続してファサードを構成するのが特徴である(写真16)。塗装は、外部の列柱と手摺、天井に白色の塗料、建具周りに木目塗が施されている。移築時、白色の部分には、下塗に調合白亜鉛ペイント、中、上塗に合成樹脂調合ペイントが塗布された。そして、建具の木目塗には、下塗に油性調合塗料、中塗に合成樹脂調合ペイント、木目には赤、黒、黄のアンバーコート粉を混ぜた油性調合塗料、上塗に関西ペイント(株)製「スーパーワニス」が塗布された。列柱や手摺、天井など白色の部分では、平成4年(1992)の保存修理工事において、関西ペイント(株)製の油性調合塗料を、平成16?19年(2004?2007)の保存修理工事において、大同塗料株式会社製「調合ペイント・白亜鉛B白」を用いている。以上、4例の重要文化財について移築・保存修理工事において使用した塗料について述べた。過去の保存修理工事にみるように、重要文化財建造物では油性調合塗料を使用した事例がある一方、近年の保存修理工事において、重要文化財以外の展示建造物に油性調合塗料を用いた例はほとんどない。これは油性調合塗料の耐久性と施工性にも起因するが、国内における生産が縮小し、終了した背景も大きい。近年では、唯一の油性調合塗料と認識されていた大同塗料(株)製「白亜鉛B白」の生産も終了している。しかし「白亜鉛B白」の製品説明書によれば、長油性フタル酸樹脂と乾性油を展色剤としているから、厳密にみれば油性調合塗料の生産は、これ以前に既に終了していたとみてよいだろう。現在、油性調合塗料で塗装を再現するには、材料の生産を確保しなければならない状況にある。現在とは異なり明治時代は、塗装業が自ら塗料を調合する塗料と塗装が一体化した生産・施工体制であり、かつ塗料は規格化されていなかったから、塗料の調合が比較的容易であったであろう。とはいえ、維持・保全の点からみれば、油性調合塗料には施工方法に課題がある。例えば平成16?19年(2004?2007)に塗装の保存修理工事を行なった三重県庁舎では、塗膜が剥離するなどの劣化、カビの発生を確認している。特に、日射の多い南側では各所の塗膜がひび割れ、剥がれ落ちる状況にあり、窓台部分の劣化が顕著である(写真17、18)。これは、木部の熱膨張と収縮による伸縮に塗膜が追従できないことが要因と考えているが、直接的な原因は未だ不明である。さらに、一旦硬化すれば堅い膜ができる油性調合塗料だが、夏期に油化して、上げ下げ窓の上下の建具が枠に張り付いて開閉