近代建築に使用されている油性塗料

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概要:
近代建築に使用されている油性塗料

博物館明治村の建物群の修復に使用した油性塗料に関して─展示建造物にみる塗装復原の現状と課題─  17し、同40年(1965)に重要文化財指定を受けた建造物である(写真2)。塗装は、外壁や軒裏、柱、手摺、腰壁、天井に施されている(写真3)。移築工事報告書によれば、移築時に既存の塗膜を除去し、丁寧に素地調整を行なった後、下塗に木部下塗用油性調合塗料を施し、油性パテで欠損部分を補修して、中塗に油性調合艶消塗料をボイル油15%、シンナー0.5%で希釈し、塗り重ね時間48時間以上で塗布されている。移築後、平成5年(1993)に外壁の塗装工事を実施した際、三彩化工株式会社製の剥離剤「ネオリバー」(ジクロロメタンCH2Cl2 80?90%)で古い塗膜を除去したところ、外壁下見板入隅部分に8?10層の塗膜を発見した(写真4)。外壁下見板は直接風雨に晒されるため、修補材である可能性が高いが、塗膜の数からみて、最下層の塗膜は創建時かそれに近い時期であるとみてよいだろう。しかしながらこの修理工事では、色調の復原には至らず、最下層より淡い灰色である最上層の色を採用して塗装され、現在に至っている。東山梨郡役所は、明治18年(1885)、山梨県山梨市日くさ下か部べ町に地元の職人が建てた「藤村式」と称される類の建物である(写真5)。壁面の出隅は、石積を模して黒漆喰を塗り出し、柱は洋風の束ね柱を模して胡ご麻ま殻がら决じゃくりの丸柱とするなどの点から、擬洋風建築の一例と位置づけられる。昭和40年(1965)に移築竣工し、同41年(1966)に重要文化財指定を受けている。塗装は、列柱と天井、手摺、建具廻り、幅木に施され、移築時に西郷從道邸と同様の塗料を施している。移築時、建具は木目2)塗、建具枠や欄間は灰色で塗装されていたが、平成6?7年(1994?1995)の保存修理工事で、正面扉の鏡板にて既存塗膜の下から創建時と考えられる木目塗が発見された(写真6?8)。この木目塗は、剥離剤では除去できず、木の素地が透き通って見えることから、水性塗料によって描かれ、漆やワニスの類で仕上られたものと推測された(写真9)。しかし、水性塗料による木目塗に関しては未だ不詳な点が多く、痕跡から塗膜の成分を検出できなかったため、現在写真5 東山梨郡役所外観